03 March, 2015

つかうということ。

皮を鞣し(革という字に柔という字を並べて、なめしと書きます)それぞれに切り出して、使う人の手によってひと針ひと針縫って作られた暮らす道具たち。
写真は小谷村つちのいえにてワークショップ主催くらしての前田聡子さん。






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長野県小谷村にて開催された「鹿の解体と皮なめし、くらす道具」 第2回に参加してきました。

前回、皮は一晩石灰水に漬けて残った肉を剥ぎ、毛をある程度抜くところまで進め、
その後ひと月の間「くらして」の方々が、ミョウバンと塩に漬け、柿渋、栃のアクによってタンニンなめしまで進めてくれました。
僕らがひと月ぶりに再会した皮はタンニンなめしを終え、よく乾燥されて半分くらい革の状態。
ヤスリや軽石で表面を滑らかにして、ひまし油を塗り込んで、あとは揉みしだく。
とにかくひたすら揉んで、巻いて、折り曲げて、皮を革へと仕上げていきます。
Deer skin






閑話休題 ちなみに  ひまし油(蓖麻子油)は、唐胡麻の種子から採取する植物油の一種。  
     英語表記は castor oil 。エンジンオイルで有名なカストロール社の社名の由来ともなっているそうです。
     以下、Wikipediaより引用:いわゆる「カストロールの香り」という言葉は1960年代から使われており、
     当時のカミナリ族が使用していたオートバイの大半が2ストロークエンジンで、スタイルがレース指向だったので、
     当時の植物性レーシングオイル「カストロールR30」を使用する者が多く、
     ひまし油ベースのこのオイルの強烈な甘い香りを称して「カストロールの香り」と言われる
The skull of the deer
今回の食卓は、第1回目の時の鹿肉をカツにして。
そして小谷村の笹ずし。
具材のフキも、野沢菜も、それらを包み込むくクマ笹も小谷のもの。
冬のこの時期の自分たちのために、そしてまだ見ぬ客人たちのために、
夏の間に採り、調理、処理をして準備をしてきた食材。


第1回の時は鹿の皮を剥ぎ、解体し、部位ごとに切り出す作業。
そしてそれを焼き、煮て、美味しくいただいてきました。
生きものを殺し、食べるということがどういうことなのか。
普段、考えることの少ない、目の前のもののむこう側にある景色を、自分の手で触ってきた感覚でした。

想像力。

いつもの食卓に、この感覚はない。必要もないのかもしれない。
でも、そうして「いただく」という気持ちを、時々思い出さないと、
当然のように今あるこのいとなみは、続かないんだよ、ということも僕たちは実感できていない。




たくさんの生きものを食べることで、たくさんの命をいただくことで、僕たちは生かされている。
人は、その命を作りだすこともできないし、木の枝一本、一切れの皮だって生み出すことはできない。
たべるということも、つかうということも、
それは、費やし消える「消費」ではなく、かたちを変えて繋がっていくことなのだと思う。




今回、小谷村へ行ったのは、2月21、22日。
天気も良く、前回よりも上着一枚いらないくらい、あたたかい。

In a grove

Weather to perform a thaw

Way home to Tokyo
Deerskin book jacket 1
Deerskin book jacket 2


帰宅した自室にて、自分が解体し食べた鹿の革を、触る。
そして手触りを確かめながら、この冬の2回のワークショップを思い返す。

前回は視覚、嗅覚。そして味覚をフル回転させた。
今回はこの触覚。
こうして、いつまでも触れることができるというのは、すごいことだ。
僕はこのブックカバーにメモ帳を挟み込み、気になることや大切なこと、
浮かんでは消えてしまういろんなことを自分のために書き込んでいこうと思う。

そして、聴覚。
2月の信州に一晩中凍ることなく雨音のように聞こえていた雪解けの音。

春はあともう、ほんの少し先。














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